末期古墳とは 《歴史・生活・北海道》

7世紀から10世紀にかけて東北地方北部と北海道道央の石狩低地帯に造られた、円形を基本とした墳墓である。

北海道式古墳という別名があり、また、蝦夷系墳墓という名称も提案されており、蝦夷と呼ばれた人々によって造られたものと推定されている。

1931年、北海道札幌郡江別町(現・江別市)で江別古墳群が発見され、1934年、江別古墳群と千歳郡恵庭村(現・恵庭市)にある茂漁古墳群(柏木東遺跡)の発掘結果から後藤守一により北海道式古墳という名称が提案された。

これは古墳時代に本州各地で造営された古墳とは異なる、墳丘を持った墳墓という意味で名づけられた。

しかしそれらの墳墓が古墳に当たるものかどうかは意見が分かれ、古墳ではなく墳丘墓とした研究者もおり、また古墳の一種とする研究者の中からも1960年代に末期古墳という名称が提案された。

末期古墳は東北地方の青森県、岩手県、秋田県と宮城県北部、そして北海道道央の石狩低地帯に分布している。

その他、山形県の庄内平野には未調査の小円墳群があり、末期古墳の可能性がある。築造年代は7世紀初頭から10世紀にかけてとされる。

7世紀前半、北上川中・上流域と馬淵川流域で始まった末期古墳の造営は、8世紀から9世紀にかけて東北地方北部と北海道の石狩低地帯へと分布範囲が広がった。

発掘時に確認された十和田湖の915年大噴火で噴出した火山灰と、白頭山の10世紀前半と推定されている大噴火による火山灰によって、場所によっては10世紀前半まで末期古墳の造営が続いていたことが明らかになっている。

末期古墳は多くの墳墓が密集して造られる群集墳のような形で造られ、青森県の阿光坊古墳群のように、多い場合では100基を越える末期古墳で構成されることもある。

同じ地域で長い期間、末期古墳が造られ続けた例もあり、青森県の丹後平古墳群では7世紀後半から9世紀後半までの約200年間、阿光坊古墳群では、7世紀前半から9世紀末まで300年近くにわたって末期古墳が造られ続けた。
update:2009年08月20日